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旧新町紡績所建造物調査等業務
所在地 群馬県高崎市 業務内容 建造物調査・資料調査・保存活用計画 年度 2012〜
明治期の官営絹糸紡績工場(現役の食品工場)が国の重要文化財に

工場全景航空写真 平成26年6月28日撮影
群馬県高崎市教育委員会の委託により、平成24年度から平成25年度にかけて、群馬県高崎市の『旧新町紡績所』の建造物の実測調査・痕跡調査・史料調査を行いました。
これらの建造物の内5棟(工場本館,機関室,修繕場,倉庫,二階家煉瓦庫)が、富岡製糸場に続く官営の絹糸紡績工場(近代/産業・交通・土木)として、平成27年7月8日付で国の重要文化財(建造物)に指定されました。更に同年10月7日付で国の史跡指定を受けました。
旧新町紡績所は,希少な木造の工場建築がほぼ完全な規模で残り,明治初期の建築技術を良く示しており,高い歴史的価値がある明治期の絹糸紡績工場唯一の遺構であり,絹糸紡績業の発展の過程を示すものとして,高い学術的価値が認められています。

国立公文書館蔵 明治9年11月 上州新町駅屑糸紡績工場建築費ノ儀伺添付図面より
旧新町紡績所は富岡製糸場から5年後の明治10年に明治政府が設立した官営絹糸紡績工場です。佐々木長淳を総括とし,ドイツ人技師グレーフェンの指導を受けながら山添喜三郎ら日本人大工の手で建設されたと言われています。明治20年に三越得右衛門に払い下げられ、経営母体を変えながら明治42年絹糸紡績を一旦中断するまでの間、建物の増築や新築が図られました。工場本館のコの字形切妻造屋根部は官営期工場部で,独特なトラスなどに洋風建築の技術と日本在来の技術の併用が見られます。鋸屋根の増築部,煉瓦造の機関室や倉庫は,明治期の紡績工場の発展形態を示しています。その後明治44年からは鐘淵紡績株式会社として昭和50年まで操業しました。現在は、クラシエフーズ株式会社新町工場として稼働しています。

明治10年当初の窓建具と壁の確認のため、外部を覆う波板鋼板を一時的に剥いだところ
平成24年に、高崎市教育委員会は調査の実施を要望し、クラシエフーズの同意と協力を得、弊社が調査業務を受託しました。平成25年には、国指定を念頭に保存を目指すこととなり、主要な建造物を将来にわたり保存していく方針となりました。これにより、弊社は創建期等の主要建造物の詳細調査(実測調査・痕跡調査・史料調査)を実施しました。

上:工場本館北面外観、下:工場本館南面外観
工場本館は、木造、平屋建、建築面積6,572.93u、桟瓦葺で、明治10年建築の官営期工場部と明治中期から後期にかけて段階的に増築された増築部からなります。官営期工場部はコの字形配置で、機械の増設に伴いコの字形の中庭部に建物を増築し、自由度の高い平面的な拡張が可能となっています。官営期工場部は、切妻造屋根で、北棟とその両端から南に延びる東棟、西棟からなり、小屋組は桁上に京呂で架かるキングポストトラスです。外壁は下見板張りで表面にペンキを塗り、各柱間に額縁付きで幅広のガラス上下窓を開けます。トラス陸梁の端部や垂木の鼻先、切妻破風端部には繰形を施しており、簡素ながらも緻密で堅牢な造りとなっています。明治後期までの増築部は木造、平屋建で北西部に切妻造屋根があるほかは鋸屋根としています。

修繕場 南東面外観
修繕場は明治10年頃の建築とみられます。当初は機関室の西にありましたが、大正5年現在の位置へ移されました。木造平屋建、桁行20.0m、梁間8.2m、切妻造鉄板葺で南北に下屋あるいは庇を付け、東に屋根を一段落として二間半延長し、西は機関室との取合いの葺き下ろし屋根を室内に取り込みます。小屋組はキングポストトラスで、トラス陸梁端部には繰形を施しています。一角にかつての火造場(鍛冶作業場)であった時の表面に漆喰を塗った痕跡があり、かつての修繕場の様子を残しています。

機関室 北面外観 汽機室旧入口
機関室(指定名称)の内、最古のものは、附属する煙突の銘板や写真より明治31年頃の建築であることがわかります。煉瓦造、平屋建、一部地下一階です。機関室(指定名称)は、汽罐室を中心に、汽機室・モーター室・工員控室、北に附属する木造の物置から成ります。屋根は入母屋造あるいは切妻造、鉄板葺で、汽罐室はクイーンポストトラスで越屋根を付し、汽機室はキングポストトラスで尖塔を付します。躯体はイギリス積の煉瓦壁で、内外に煉瓦積を表します。壁頂部に蛇腹を回し、開口部は半円アーチや三心アーチを用い要所に石材をはめています。

倉庫 北面外観
倉庫は、原料倉庫として明治30年頃の建築とみられます。煉瓦造、平屋建、桁行25.2m、梁間11.6m寄棟造、桟瓦葺です。内部床は板張、小屋組はキングポストトラスに似た変形小屋組で、棟束の両脇に地面から屋根まで延びる通柱を立て、筋交い、方杖で固めています。壁はイギリス積で、外側は煉瓦積を表し一間半ごとにバットレス状の柱形を付しています。壁頂部全周にモルタル塗のロンバルド帯を回したり、開口部周りの煉瓦や要石による意匠・鉄製扉など装飾的な外観となっています。

二階家煉瓦庫 南東面外観
二階家煉瓦庫は、製品倉庫として明治27年頃の建築とみられます。煉瓦造、二階建、桁行8.0m、梁間6.2m、切妻造、桟瓦葺です。壁体はイギリス積煉瓦で外部に煉瓦積を表し、両妻壁を立ち上げ、四隅に隅石を積んでいます。東西面に窓を各階二か所、西面に出入口を開け、開口上部にまぐさ石を置きます。内部は板床で壁は漆喰塗とし、南東隅に木造階段を設けています。小屋組はキングポストトラスです。煉瓦は明治20年設立の日本煉瓦製造会社製を用いています。
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