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特別史跡新居関跡保存整備
所在地 静岡県新居町 業務内容 調査・分析・基本計画・基本設計・実施設計・工事監理 年度 1998〜
護岸石垣・渡船場の整備

新居関所
新居関跡は、江戸時代に徳川幕府によって設けられた関所のうち、重き関所のひとつで、全国で唯一の本体建物「面番所」が現存する遺跡として、特別史跡に指定されています。
静岡県新居町にあり、現在は埋立によって市街地となっていますが、当時の新居関所は浜名湖畔にあり、対岸の舞阪と船で往来していました。江戸を起点とする東海道はここで一旦途切れ、新居関所から京へと向かっていたのです。
新居町では、この新居関所をまちづくりの核として位置付けており、調査に基づいて整備事業を行っています。私たちは、計画、設計、監理として携わることが出来ました。

復元後の湖岸

渡船場

柵列
新居関所の特徴のひとつに、船着きの関所であることがあげられます。しかしながら、整備前は埋立によって陸地となっていました。ここを発掘調査した結果、護岸石垣と渡船場の一部が発見されたことから、湖岸の一部を復元する整備事業が行われました。
発掘調査では、石垣の根石、梯子胴木(丸太を用いた石垣の基礎)、裏込めの他、石垣前面に杭列があり、また湖底面には大小の礫が敷き詰められていました。
復元の資料となるものに江戸時代の関所修復時の設計書『御修復目論見帳』や、『今切関所平面図』等の絵図があります。発見された石垣の痕跡や渡船場の形、湖底面の杭は、それら資料と一致するものであり、復元の大きな根拠となっています。
また、道路沿いにある柵列は、当初の位置とは異なりますが関所を区画する施設として整備したもので、文献資料に見られる部材の記述などから設計しました。

復元した石垣

水を湛えた湖岸
復元工事では、地面を掘り下げ、遺構面を保護した上に復元の石垣を積んでいます。
残っていた数段の石垣から、積み石の材質と積み方を倣ったのですが、これは容易ではありませんでした。この石材は硅岩と呼ばれるものですが、石材業者によると、地面の中に転石としてあるもので、切り出す山が無いとのことです。今回は施工者の尽力によって、何とか北関東で同質に近い石材を手配することが出来ました。
次には積み方です。基本的には野面・打ち込み矧ぎ(注)ですが、積み石同士の合羽は欠き取って形を作ります。ことろが、この石は石切ノミを当てても思うようには割れない性質でした。石工が数石積んでは何度も積み替えてもらい、やっと遺構に近い積み方ができるようになりました。喧々諤々の末に築かれた石工との信頼感は忘れられません。
このような伝統技術を持つ石工も少なくなっていると聞きます。そのためにも、復元や修復の事業が継続的にあることが重要なのでしょう。
こうして復元された湖岸には水を湛え、浮橋を設けて渡船場から関所構内へ渡れるように整備しています。

(注)野面・打ち込み矧ぎ
野面:積み石表面を、切石のように整形せずに積むこと。
打ち込み矧ぎ:石材間に詰め石、差し石等を介して積むこと。
積み石を、接する石に合わせて整形して積む切り込み矧ぎに対して打ち込み矧ぎという。

整備の進む面番所前

発見された建築部材

発見された杭材
護岸・渡船場の整備事業の後も、発掘調査と整備は進められており、関所建物の木材や大御門の遺構など、重要な発見がありました。

まちあるき(2005年2月)の状況

町なかに残る建物 1

町なかに残る建物 2

船着場の風景
新居町には、旧東海道沿いや町なかに往時を偲ばせる町並みが残っています。関所と歴史的な町並みが共に残るまちとしてとても重要です。
町はまちづくりに取り組んでおり、市民団体の活動も盛んと聞きます。今後、新居関所を核として、歴史の息づくまちづくりが発展することを願っています。
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