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青森県総合運動公園遺跡ゾーン集落復元(青森県三内丸山遺跡)
所在地 青森県 業務内容 基本設計・実施設計・工事監理 年度 1998〜1999
実験的検証を踏まえた縄文時代住居の復元

整備された三内丸山遺跡
三内丸山遺跡は青森市にある日本を代表する縄文時代の拠点集落遺跡です。この遺跡の発掘によって、我が国の縄文感に変革がもたらされたことは記憶に新しいことです。
私たちは、この遺跡の集落復元に関わる調査・設計・監理として関わる幸運に恵まれました。

土葺住居
縄文時代の一般住居は竪穴住居ですが、三内丸山遺跡でも多くの竪穴住居が発見されています。この竪穴住居復元のアプローチとして、北方文化との関係に着目して検討を進め、土葺住居、樹皮葺住居、茅葺住居の可能性を検証しています。
土葺住居は、屋根に土を載せて仕上げる工法で、北方アイヌやベーリング海沿岸の民族、
またアメリカインデアン等に民族事例が見られるように、かなり一般的であったようです。縄文時代の住居跡に残る痕跡としては、火事で倒壊した住居跡等に窺うことが出来ます。

樹皮葺住居
樹皮葺住居は、屋根に樹木の皮を用いるもので、アムール川流域や北方アジアに広く民族事例が見られます。縄文時代の遺跡からは、樹木の皮を束ねたものが発見されるなど、樹皮は様々な用途に利用していたようです。

茅葺住居
茅葺住居のように、屋根に草を用いる例は北方圏のみならず世界中に見られます。ススキ等の茅材は身近な材料で、北海道アイヌでも茅葺を用いていますし、日本の古代から中近世にも茅葺の伝統が残っています。

茅葺住居の軸組

樹皮葺住居の棟

土葺住居の屋内
復元では、整備工事に先立って実験棟を作成し、工法と居住性の検討を踏まえたものとなっています。この実験棟は、発見された遺構に矛盾しないことは無論のこと、縄文時代に存在した材料・道具と技術を用い、また民族事例の詳細を踏まえて、文字通り手探りしながら建てたものです。石斧で山から木を伐採すること、茅を刈り取ること、木の皮を剥ぐこと、土を掘ること、帆立貝の貝殻で柱穴を掘ること、蔓を裂いて縄を編むこと、丸太を組んで屋根を葺くことなど、全工程とはいきませんが、一通りの検証を試みています。現在では復元縄文住居は各地に見られますが、道具から判る縄文人の知恵と、家を建てる大変な労力を実感しました。

越冬中の実験棟
居住性の評価としては、実験棟に数日暮らしながら温度・湿度の状況を観測しました。民族事例で寒冷地に土葺住居が多いことは、薪などの燃料を有効に使うことに起因するものが多いようです。また、住居形式によって夏、冬の使い分けをする民族も見られます。
検証は、春、夏、秋、冬それぞれ数日ずつ、2ヵ年に掛けて行いました。
昼は適宜薪を燃やして建物を乾燥させ、夜は一定量の薪を燃やして住居を閉じ、その後の保温性を測定しました。結果は、当然ながら土葺住居の保温性の良さと、茅葺、樹皮葺の夏季の快適さなどが数値で表されました。しかし、それ以上に、数日でも快適に暮らすための工夫が生まれました。火を上手に燃やす方法、それに伴う出入り口の開け閉めの方法、夜の明り取りの方法など、“やって初めて判ること”の重要さを痛感した次第です。

土葺実験棟

樹皮葺実験棟

茅葺実験棟
現在は、整備事業が完了し多くの見学者を迎えていますが、この実験棟はその後も残され、朽ちていく状況が観察されています。これには釘や金物を一切使っておりませんので、廃絶住居の倒壊過程と遺構の残り方を知る上で参考資料のひとつになれば幸いと願っています。
(三内丸山遺跡の実験棟と観測については、『日本の美術5 原始・古代住居の復元』(至文堂2001.5)に寄稿しています。)
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